FOUNDER'S STORY 創業者能村夏丘物語-ブリューパブ国内NO.1ブランドへの挑戦-

~旨いビールを飲みたければ醸造所へ行け!~

いつもありがとうございます。現在、都内を中心に6店舗のブリューパブを展開するビール工房の創業者、能村夏丘です。ビール工房の生い立ちから、ここ新宿野村ビルに出店するに至った経緯、できたて自家醸造ビールへの想い、こだわりを説明させてください。
 
私は学生時代から大の旅行好きであり、日本全国を歩き回っていました。旅先の一番の愉しみは「地のもの」との出会い。地元で採れた野菜や果物、獲れたて新鮮な魚、地元に根付いた食文化、お酒。。。
 
こういった楽しい思い出は、大学中退後就職した広告代理店での日々の激務に追われていた5年間ですっかりと消し去られてしまっていましたが、ある出来事をきっかけに、記憶の奥底に眠っていた経験が鮮明に蘇ってきたのです。

自分探しの旅で見つけた“自分”

大学中退後、広告代理店に勤務し、某ビールメーカーの販促支援を担当していました。毎日毎日終電まで働くほどの激務でしたが、やりがいも感じていました。しかし、仕事に集中すればするほど家族との距離を感じるようになりました。「この生活を続けていくべきなのか」と悩んだ末、ついに2009年4月に退職しました。
会社を辞めて、「次は何をやろうかな」と考えた時に、人間の根本的なものに近いものがいいなあ、それは衣食住なんじゃないかなあ、衣食住の中では食がいいなと、ぼんやりとした中で何度も自分探しの旅に出掛けました。ありがたいことに、共働きだった妻の理解も得られてはいたものの、無職の期間が1ヶ月2ヶ月と続いていくなか金銭的にも苦しくなり、焦りも感じていました。まるで霧の中に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥り、精神的にも辛い時期でした。もがき続けた中で出会ったのが「栃木マイクロブルワリー」という小さなビール工房。たった1人でビールをつくる醸造家の姿に衝撃を受けました。 「こんな小規模で、こんな設備でビールが造れるのか。。。」パズルの最後のワンピースがパチンとはまる音がしましたね。この音を合図に、学生時代に旅先で訪れたレストランで初めて飲んだ地ビールの記憶が、鮮明に蘇ってきました。

自家醸造ビールへのこだわり

「ビールって、こんなに美味いしかったんだ!」
いまから20年近く前、友人とともに訪問した新潟県にある地ビール醸造所併設のレストランで初めて地ビールを飲んだとき、興奮しながらこう感じたのを思い出しました。興奮冷めやらぬ中で飲み足らなかった僕たちは、レストランから旅館に戻る道すがら、近くの酒屋であれこれビールを買い込んで、部屋で宴会をしたんですね。でも、その買ったビールを口にした瞬間、「あれ?なんか違う。。。」。美味しいビールへ興奮がサーっと冷めていくのが感じられました。さっさと飲んでその日は寝てしまいましたね。
 
「酒屋さんの管理が悪かったのかな」「日付が古かったのかな・・・」。
当時は、そのくらいにしか思いませんでしたが、いま冷静になって考えてみると、瓶詰されたり、輸送されたり、店頭に常温で並べられたりと、ビールの品質にとってはプラスの要素はひとつもありませんので、仕方のないことだったのかなと。
 
「大手のビールなら美味しいはず」
あの感動をもう一度味わうべく、この仮説を立てました。早速大手四社の工場見学へ。訪問前日には、思いつく限りの最高環境――たとえば新規オープンの居酒屋チェーン開店初日の早い時間帯、サーバーは新品だから衛生環境は完璧のはず。樽の鮮度は自分で確認。グラスも新品――にある同銘柄のビールをたらふく飲んで味を覚えました。
 
結果はすべて「工場の方がおいしい」。
特にアサヒビール博多工場で飲んだスーパードライは、麦の味に溢れていました。世界に誇る日本の大手メーカーによる最高クラスのパッケージング技術や現代の流通網をもってしても、逃れることの出来ない「劣化」。
 
「劣化のない100%の状態で、ビールを飲める方法は?」
答えはただひとつ。造ったその場で飲むこと。クラフトビール大国であるアメリカには、「ビールに旅をさせるな、美味いビールを飲みたければ醸造所へ行け!」という格言があるが、まさにその通りだと感じましたね。
 
パンは芳ばしい香りが鼻先をかすめる瞬間が、ステーキはジューという音が聞こえているうちが、肉まんはホカホカの湯気が立った蒸籠からから出した瞬間が一番おいしい。「できたて」「非加熱」「無濾過生」。この三つが、最高のビールを味わえるための必須条件だと確信しましたね。

師匠との出逢い

ビール造りを決意したものの、どんなビールを造りたいのか、イメージが全く沸きませんでした。まずは業界を知ろうと、ビールに関係するありとあらゆるものに首をつっこんで、話を聞いたり、感じたり、自問自答を続けました。ビール関連書を読み漁り、ビールを売りにしている飲食店に行っては、そこにあるビールや醸造所のことを訊いたり訪ねたりと。
 銀座のとある醸造所は、あくまで居酒屋として勝負していました。そうか、私がやろうとしていることも、飲食業になるのか。美味しいビールを造るという製造業、美味しいビールを飲んでもらうという飲食業。片方だけでも皆さん必死なのに、その両方を一人二役でこなすだなんて。。。これは、中途半端は許されないぞ・・・そんな学びがありました。
 静岡の有名醸造家を訪ねた時、「あなたが造りたいビールはどんなビールですか?」の質問に対し、明確に答えられなかったところ、「あなたには哲学がない上に計算もできない」とバッサリ切り捨てられ、ぐうの音も出ない自分が情けなかったですし、悔しかったですね。彼の哲学をずっと聴きながら、ときには大きく共感し、尊敬し、しかしときには共感できない、違う、嫌だ、受け入れられない・・・それこそが学びでした。
 私は三度の飯よりビールが好き。大好き!美味しいビールが飲みたい。劣化しているビールは嫌だ。心のこもったビールが飲みたい。いろいろな味を飲みたい。毎日飲みたい、気がねなく飲みたい。そういうビールを僕は造りたいし、必要とされたい。ビールの社交性が好き。ビールを飲んで明るく楽しくなる自分が好き。一緒に飲んでいる人も明るく楽しくなって、会話が弾む。いつのまにか隣の人と仲良くなっている。地域の人々が集う、そういう店を僕は造りたいし、必要とされたい。少しずつ自問自答しながら、能村夏丘のビール哲学が形成されていきました。
 ビアパブに行く度に、周囲に熱弁を振るっていたところ、「そういえば岡山にそんな感じの醸造所があるって聞いたことがある、名前は知らないが」との情報を得ましたが、ネットを検索してもわかりませんでしたので、「尋ねてみたいけど、ちょっと遠いな、お金もかかるしな」とその時は尻込みをしていました。
 ほどなくして、新しい醸造所が川崎市登戸に誕生したことを新聞記事で見つけたので、いつものように出かけて行きました。お店の一角で飲んでいると、ひとりの男性が入店してきました。白髭をたくわえ、作務衣に雪駄の出で立ち。まるで仙人が降りてきたかのようなオーラ。。。そこへ若い店長が「師匠〜!」と駆け寄りました。「あれは何者??」気になって仕方がない。醸造所の前に仁王立ちして、あれこれ店長にレクチャーしている。「どうも東京の人じゃなさそうだ・・関西弁が聞こえるぞ・・あれっ今、岡山って言わなかったか??岡山のひと?」すぐに帰ってしまいそうだったので「あのう・・・」と声を掛け、岡山で探している醸造所の話をすると、「そりゃきっとうちの醸造所でしょう」と。そう、この方こそが後に私の生涯の師匠である永原敬氏でした。永原師匠は快く訪問を受け入れてくださり、早速岡山へ。ビール作りを通じて、岡山のモノ作りを発信し続ける姿に感銘を受け、帰り際に改めて弟子入りを志願。約半年間、片道3700円のトイレなし深夜バスに揺られながら東京-岡山を行き来し、店内造作、醸造、安全管理、経営、ものづくりの心得などについて学びました。

高円寺にて創業

「自分にとって身近な街でやるべきでは」と考えた時、僕に縁のある街というと、生まれ育った板橋、19歳のときに下宿していた中野、それから結婚してから住んだ阿佐ヶ谷とありました。阿佐ヶ谷住まいのときに「ビール屋をやるぞ」と決め、中央線は文化色豊かで、「何か新しいことをやるのにいいんじゃないか」、高円寺で新しいものを始めたら、「いいじゃん!」と、すぐ話題になるんじゃないか、あまり看板が立派じゃなくても、ひたすら自分を信じてやっていけば、そこを評価してくれるのがこの街の気風としてあるんじゃないかという直感が働き、2010年12月25日に高円寺にて開業しました。当初は小料理屋的な業態で、街に根付きつつも細々と続けていけたらと思っていましたが、NHKの取材を受けたこともあって、連日連夜ビールを注ぎ通しで、妻も私もへとへとに。でも、これほどまでにも自家醸造ビールが求められているというのを肌で感じることができて、うれしかったですね。

街のビール屋さんを広めるぞ!

「高円寺はいいな、できたての美味しいビールが気軽に飲めて。うちの街にもあればいいのにな。。。」って、たくさん言われて、すごくうれしかったですね。高円寺の街なら自分のやりたいことがきっと伝わる、理解してもらえると思っていましたが、高円寺だけじゃなくて、いろんな街の人から「うちの街にも」なんてことを言われました。そのときに思ったのが、「日本中に作れば良い」と。「人の住むところにビール屋あり」という考えです。高円寺と阿佐ヶ谷はたった2キロしか離れてない隣町ですが、それぞれに駅前はあるし、住んでいる人は使い分けているし、独立して考えられます。その結果、「ひとつの街にひとつの店」ということを実現出来なかったら僕の描く未来はないと思い、阿佐ヶ谷への出店を決めました。いつでもできたてビールが飲める幸せ、その街を愛する人が、地域の人の為に美味しい自家製ビールを提供することの慈悲深さ。。。ビール職人として「街のビール屋さん」を広めるぞと決意しましたね。

できたて自家醸造ビール×クラフトミート

荻窪、西荻、中野、高田馬場、所沢と、それぞれ異なるコンセプトで毎年のように出店を続け、2017年11月、ここ新宿野村ビルB2Fに「できたて自家醸造ビールとクラフトミートとのペアリング」をコンセプトにビール工房新宿をオープン。フレンチレストランで副料理長兼ソーシエを勤め上げた神谷が、所沢にあるドイツスタイルの手作りハム・ソーセージ工房ゼーホフ(ソーセージのオリンピック=国際食肉職人協議会で国際チャンピオン賞)にて自家製シャルキュトリーの技術を学び、ここ新宿にて製造しています。日々研究を重ね新たなメニューも開発しておりますので、「できたて自家醸造ビールとクラフトミート」が生み出す新たな可能性にご期待ください。

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